隊員&OB・OGインタビュー

地球上から飢餓を無くしたいという夢を実現するために

南牧村 田中 陽可さん OB(隊員期間2015年4月~2017年3月)

Q:南牧村の地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。

A:高校生のとき、国連難民高等弁務官をされていた緒方貞子さんに憧れて、緒方さんのように世界平和のために働きたいとアメリカの大学へ入学しました。在学中、飢餓の問題に関心を持ち、土地収奪という問題を知って、土地収奪の問題を解決するには農業だと。だけど、土に触れたことも鍬を持ったこともなかったので、まずは地域おこし協力隊に応募して、その活動の中で農業をやってみようと思ったんです。

早速、移住・交流サイト「JOIN」で地域おこし協力隊の募集情報を調べていたら、たまたま南牧村の募集を見つけました。実は、アメリカの大学在学中に高齢化社会の講義を受けていて、「世界一高齢化率が高い国は?」「日本です」と、これは知っていた。「じゃあ、日本の中で一番高齢化率が高い自治体はどこでしょう?」と。これは僕も含めて誰も知らなかった。答えは、「ナンモク・ビレッジ」でした。

そんなことがあったので、JOINで南牧村の募集を見たとき、「あっ、あのときの村だ!」と親近感が湧いて。興味を持って、村のことをいろいろ調べて応募したのがきっかけです。
それ以前は、ピースボートで地球一周しながら通訳や翻訳をしたり、東京でも会議などの通訳をして働いていました。急に南牧村に行って農業するって言ったら、家族には驚かれましたが、いまは応援してくれています。

Q:隊員だった時の活動内容と、当時の嬉しかったことや大変だったことを教えてください。

A:赴任初日に村長から、1年目は村を知る活動、2年目は村に貢献する活動、3年目は定住に向けた活動として隊員の興味に沿った活動をしていいと言われました。村のケーブルテレビ「なんもくふれあいテレビ」でも協力隊員として取り上げてもらい、初めから村の人みんなが僕の顔と名前を知ってくれていたことは、その後の農家として自立する際の動きやすさにもつながっています。

協力隊として村が用意してくれた住まいは真新しい村営住宅でした。とてもきれいでしたが、農作業で汚れた服のままあがりにくく、役場に伝えて空き家を探してもらい引っ越しました。6畳3間とキッチン、バス・トイレ、広いベランダや倉庫もあって家賃も格安です。

まず初めの半年は、一緒に活動を開始した3人で、道の駅とテレビ局情報観光課と役場村づくり雇用推進課の3カ所を2カ月間ずつローテーションして活動しました。半年経ってから、村長に何に興味を持ったかを聞かれ、僕は最初から農家を目指していたんで「農業です」と。「じゃあ、村内の農家さんの手伝いをして半年過ごしていいよ」ということになりました。
6、7カ所の農家を紹介してもらって、野菜作りや南牧村のことをいろいろ教えてもらいました。

農作業をやってみたら「やっぱり楽しい!」。大変だとは思いませんでした。「次は何やるんですか、次は何やるんですか」と。でも、お年寄りなので、少しやってはすぐ休憩。僕はずっとやり続けたいくらいだったんで、「もう休憩ですか?」と心の中で思っていました(笑)。「じゃあ、そこの草をむしっといて」と言われたら、草取りしながらお話を聞いて。南牧ぶるう(インゲン豆)や南牧ウリ(きゅうり)など、この村の在来野菜も教わりました。
野菜作りはアメリカにいる時から本でずっと勉強していたのですが、気候とか土質とか、その土地にあった作物とか、本からの知識だけでは不十分ということが分かりました。
本当にみなさん、親切に教えてくれて、すごくありがたかったです。

大変だったことといったら、僕は「はじめまして」なのに、村の人はみんな「協力隊の田中君だね」と僕を知っていて、なかなか相手の名前を覚えられなかったことでしょうか。同じ苗字の人も多いし。困ったのはそれぐらいですね。

Q:現在の活動(事業)内容と始めたきっかけを教えてください。

A:1年目を終わった時点で「協力隊を辞めて農家として村に残りたい」と伝えたところ、村役場の方が無謀ではないかと心配してくれました。
話し合いの中で、2年目の「村に貢献」というのはスキップして、本来なら3年目の「定住に向けた活動」ということで、自分の畑を持って農業をしていいということになりました。ただし、村のイベントや都内への出店などの際は協力隊の業務を行うという条件付きで。その後、3年目は農家として独立していいということにしていただきました。

畑を借りるときも、協力隊ということで信用されていたのでスムーズでした。「畑探しています」と言ったら、いろんな人が探してくださって、今畑は4枚借りています。
畑を耕す耕運機もお借りしました。初めは車も持っていなかったので、耕運機を畑まで運んでもらって、終わったらまた引き上げに来ていただいて。
夏は朝5時ごろから畑に出ます。暑い日の昼には家に戻るけれど、作業によっては弁当を持って1日中畑にいます。お昼寝なんてしません。寝るとき以外は横にならないようにしているんです。そうすると、夜ふとんに横になった瞬間が、至福の時間になるのです(笑)。
野菜作りは自然栽培です。肥料や農薬を使わなくても野菜が育つことを証明したいし、それが世界から飢餓を無くすという夢につながると信じているからです。
採れた作物は、ホームページからインターネットで注文を受けて個人宅配というのが主です。定期的に購入してくれる個人の顧客も増えてきて、東京の八百屋さんにも卸しています。

また、夜には小中学生や大人を対象に英語教室をしています。加えて、民宿の人は宴会などで人手が必要な時に自分を使ってくれたり、花屋さんはお盆の忙しい時期に、ブドウ農家さんはビニール張りに、コンニャク農家さんはコンニャク掘りに。自分自身の農業だけだと、いまのところ収入と支出はプラスマイナスゼロくらいなので、村の方が自分を使ってくれたり、英語教室という複業が出来ているのは有難いです。

Q:南牧村に暮らしてみた感想を教えてください。

A:人と人とのつながりが都会より密接だと実感しています。玄関の鍵は閉めたことがなくて、結果、開けたら野菜が置いてあったり、宅配の荷物が置いてあったり。人によっては勝手に入られたと思うかもしれないですが、僕はありがたいと思っています。受け取りサインが必要なときは、畑まで来てくれるから再配達も頼まなくていい。

最初は都会からきた若者なんて、煙たがられたり無視されたりするのではと心配していたんです。特に僕の場合、自然栽培なので雑草も生やしっぱなし。事前にネットで得た情報だと、農村で自然栽培なんて始めるといじめられたり、勝手に除草剤をまかれたりするとあったのですが、来てみれば全くそんな気配もなく、何の警戒心もなく温かく接してくれます。
ピースボート仲間など友人が来ると、村の人の家を訪ねるようにしているのですが、僕に対するのと同じように親切に接してくれるのがうれしいですね。

テレビもケーブルテレビがあるから全チャンネル見られるし、各家庭にWi-Fiがつながっているし、山奥だけどインターネット環境は全く問題ないので、日常生活に不便を感じたことはありません。英語教室用にプロジェクターもあるので、ワールドカップなどは自宅の大型スクリーンで見ました。都会の人よりぜいたくに暮らしているかもしれませんね。

また、山村ぐらし支援協議会のメンバーにも入っていて、ホームページの更新などを担当しています。活動内容は、空き家調査や移住促進、移住者支援など。メンバーは僕のような移住者はもちろん、お菓子屋さん、自動車屋さん、石屋さんなど村の人も入っています。
受け入れ口があれば、何のつてもなく村に来た人も安心ですからね。年1回交流会のときには、30人くらい集まります。小さい村だけど、移住者へのサポートは充実しているのを感じます。

Q:今の事業で心がけていることや目標があれば教えてください。

A:僕の夢は、地球上から飢餓で苦しむ人を無くしたいということ。それだけです。自然栽培にこだわっているのも、付加価値を付けるというより、それが途上国の土地収奪を無くすことにつながると思うから。
作物はまだ試行錯誤中ですが、自然栽培が可能なことは証明できつつあります。
販路も複数のサイトを使ってネット販売という形で広がってきています。畑は来年には少し広げたいと思っていますが、一人でやっているので大幅に広げたいとは思いません。
温かく支えてくれる村の皆さんに感謝しながら、これからも夢に向けて発信し続けたいと思っています。