養蚕の技術を未来へと繋げる。
Q:地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。
A:大学卒業後、岡山県の造船会社で3年間勤務していましたが、その後、青年海外協力隊に応募し、コミュニティ開発という職種で現地の人々と共に生計向上を目指す活動をしていました。その活動がインドの養蚕農家と関わるもので、そこで初めて養蚕というものに触れることになりました。インドでの2年間の活動を終えた後、日本に帰国し、一旦は元の会社に復職しましたが、養蚕への興味はますます強くなり、いつか自分の手で養蚕をやってみたいと思うようになりました。そこで、インド派遣前に養蚕研修を受けさせてもらったご縁のある富岡市に相談したところ、富岡市でも養蚕農家の後継者を募集していたことから、地域おこし協力隊として養蚕に取り組むことになりました。
Q:活動内容について教えてください。
A:1年目は主に研修のような形で、富岡市の養蚕農家さんの元で養蚕のノウハウを教えてもらっていました。冬の間は下仁田ネギや長ネギを作っている農家さんで研修生兼アルバイトとして働かせてもらいました。
2年目からは、自分で養蚕を始めました。規模はまだ小さいですが、他の養蚕農家さんと同じように、桑の葉を採って蚕に与え、繭を作らせて、繭を出荷するという流れです。冬の間は下仁田ネギを自分で栽培して出荷しています。
Q:大変だったことはありますか?
A:1年目は正直、あまり苦労しませんでした。養蚕業界に若い人が入ることは珍しいため、先輩農家の方々はとても歓迎してくださり、優しく教えてくださいました。ただ、自分で養蚕を始めた2年目が大変でした。研修で学んだことと実際に自分でやることは全く違いました。桑を採る作業に予想以上に時間がかかり、蚕が空腹状態になって繭が十分に大きくならなかったり、温度管理がうまくいかず、繭の品質が悪くなったりすることが多かったです。5月から10月の間に5回繭を出荷するのですが、2年目は年間を通して結果が良くなく、この先、養蚕で生計を立てていけるのか不安に感じることもありました。しかし、途中で辞めようとは思っていなかったので、3年目は少しお金をかけて暖房機や扇風機を購入するなど蚕を飼う環境を整えました。その結果、春と夏には比較的良い繭が取れ、最低限のレベルには達したので、これからも続けていけば、なんとか生計を立てていけるのではないかと感じています。
Q:今後は、どのように活動していく予定ですか?
A:富岡市に家を購入したので、この地に根付いて養蚕を続けていきたいと考えています。そのためには、最低限の生活費を稼ぐ必要があるため、養蚕の規模を拡大するとともに、冬には現在育てている下仁田ネギに加え、もう一品目くらい野菜を作り、年間を通じて安定した収入を得られるようにしたいと思っています。
私は養蚕をやりたくて富岡市に来ました。富岡市には養蚕農家が残っていて、30代の養蚕農家も私を含めて3人います。これは日本でも珍しいことです。このような横のつながりが富岡市で養蚕を続ける大きな強みだと感じています。また、富岡市は市民桑園という市が所有する桑畑があったり、養蚕関連の補助金があったりと、養蚕ができる環境が残っているので、定住してこの先も養蚕を続けたいと考えています。
さらに、富岡の人々は養蚕に深い愛着を持っていることが伝わってきます。桑畑で作業をしていると、全く知らない人が「お蚕をやっているんですね」と声をかけてくれることがあります。こうした応援してくれる人がたくさんいることが、私にとって大きなやりがいとなっています。町全体で養蚕を守ろうという気持ちが根付いており、その中で養蚕を続けることにやりがいを感じ、自然と頑張ろうという気持ちになります。
Q:養蚕農家としての目標はありますか?
A:目標はシンプルに、養蚕を長く続けることです。私がインドで養蚕を初めて知った2016年には日本に約350軒の養蚕農家がありましたが、2023年には150軒を切ってしまいました。また現在、全国の養蚕農家の半数以上が70代以上というのが現実です。これから養蚕はますます珍しいものになっていく中で、できるだけ長く、できれば最後の一人になるまで続けられたらと思っています。大きなビジネスを目指しているわけではなく、生活できるだけの収入を得て養蚕を続けていければ十分です。そして、日本の養蚕技術を次の世代に残していきたいと考えています。
さらに、将来的にはインドとも再び関わりたいと考えています。インドの養蚕技術も向上しているので、昔のように日本人が教えに行くということはないかもしれませんが、技術交流や製品づくりの面で何かしら関われたらいいなと思っています。
Q:これから隊員を目指そうと思っている人へアドバイスをお願いします。
A:私は本当に、「人生はなんとかなる」と思っています。インドで様々な環境で生きている人たちを見て、「人生はなんとかなる」と感じました。実際に私はその気持ちで地域おこし協力隊に参加し、現在、妻と娘と何不自由なく楽しく暮らしています。もし収入の面などで悩んでいる人がいるなら、「なんとかなるよ」と伝えたいですね。
(取材日:2024/12/12)