隊員&OB・OGインタビュー

趣のある桐生の街で、日本の文化としての和食の素晴らしさを伝えたい。

桐生市 小林由香さん 活動1年目(2020年4月~)

Q:桐生市の地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。

A:実は私、桐生が地元で、ここから歩いて2分くらいのところに実家があるんです。生まれ育った桐生の街がだんだん寂しくなっていくのを見て、何かお手伝いできないかと、以前から漠然と思っていました。
宇都宮の大学へ行った後、建築の勉強をしたくて京都の専門学校に行ったのですが、卒業の年がリーマンショックで建築業界は就職先がなくて。そんなとき、学生時代にアルバイトしていた飲食業の会社から声を掛けていただきました。
その後、東京でも飲食業に就きましたが、拘束時間が長くて休みも週1回という生活をずっと送ってきて、もっとゆとりのある生活をしたいと思って退職しました。次の就職先を決めるに当たり、地元には母が一人で住んでいたので、いずれは帰ろうと思っていたこともあり、桐生市周辺の求人をネットで調べました。そのとき就職サイトで、地域おこし協力隊を見つけました。
月々のお給料がいただけて、週30時間と拘束時間も短くて、週休2日という条件にひかれ、軽い気持ちで応募したのがきっかけです。

Q:実際の活動内容について教えてください。

A:公民連携による観光まちづくりの拠点として2020年3月にオープンした「シルクル桐生」の飲食店舗で活動しています。協力隊員としての任期は4月からですが、オープン前の準備段階から関わりました。

ここは、「銀だこ」で有名な、桐生市で創業した株式会社ホットランドが運営する店舗で、定期的に業態を変えて営業していくのがコンセプトです。
最初は、市内にある「かない家」という酒屋さんとのコラボレーションで「銀だこマキコレワイン酒場」としてオープンしました。かない家の娘さんで、ワインセレクターとして知られる金井麻紀子さんがセレクトした「マキコレワイン」に合わせ、桐生オリジナルたこ焼きや桐生市内の食材を活用した創作料理を提供しました。「マキコレワイン」って日本食に合うワインということで有名らしく、東京のワイン好きの友達もよく知っていました。ワインの貯蔵庫も、昔のノコギリ屋根の織物工場の跡を改築して使っているそうです。
桐生にこういう人がいるというのを知ってもらい、かない家さんへの案内もできたので、まずは役割を果たせたかなと思います。

10月からは、おでん居酒屋「おでん屋たけし」になりました。日本酒は地元の近藤酒造さんに入っていただき、いろいろな種類の「赤城山」を召し上がっていただけます。また、森産業さんのきのこをつかったメニューもできました。 あご出汁と、鶏白湯出汁、2種類の味があるので、お気に入りを見つけていただけると嬉しいです。

Q:半年間、活動してきていかがでしたか。

A:オープンしてすぐに新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言の発令があり、しばらく休業した後、5月のゴールデンウィーク明けからはテイクアウト専門の店として再開しました。
ホットランドは、たこやきはもちろんお弁当、お惣菜などの様々な店舗を持っていて、テイクアウト営業の時はオリジナルの食材を冷凍のまま販売したこともあります。人気商品はたこ焼きの粉やオリジナルのたこ焼き器など。ステイホームの巣ごもり需要で、ホットケーキの粉などがスーパーで売り切れている状況でしたから、たこ焼きの材料が人気でしたね。6月後半からは、感染症対策をした上で店舗を再開しました。

活動は、基本的には夜がメインですが、土日祝日はお昼から営業します。昼間はご家族連れも来てくださいますね。協力隊の拘束時間は週30時間なので、それを超えた分は、ホットランドからお給料としていただけるので、私としてはありがたいです。スタッフは私のほかに2名の隊員も一緒に活動していますが、飲食業は慣れないと負担が大きいかもしれません。私は経験者として、なるべくみんなの負担を軽くするように努めています。

Q:小林さんの経験が活動に生かせていますね。今後について教えてください。

A:半年間は必死だったけれど、やっと少し落ち着いて、ここで活動しながら思い描いてきた夢に向けて動き始めたいと思っています。私はすごく着物が好きなので着物のことか、ずっと和食のお店で働いてきたので、日本の文化としての和食のよさを伝えることを考えています。

もともと京都で建築を勉強しようと思ったのも、飲食店の内装やサービスも含めて総合プロデュースができたらいいなと思ったのと、桐生の街並みは建物がすごく素敵なのに空いているお店が沢山あるのがもったいないなと思っていて、リノベーションしながらうまく街づくりができないかという思いがあったんです。
桐生の街と京都の街は、すごく似ているところがあります。京都は四条通りの端に八坂神社があるけれど、桐生は天満宮があって、そこから大通りが伸びていて、商家が軒を連ねて、裏に民家があってという造りがすごく似ていると思うんです。 私は、京都の花街の中でも一流といわれる祇園や先斗町で働きましたが、すごく貴重な経験でした。芸妓さんや舞妓さん、芸能人、政財界の方を相手にするようなお料理屋さんが軒を連ねる街で、気遣いなどが半端じゃないんです。また、日本で一番と言われる観光都市でもあり、観光客の方の京都への憧れや期待値も大きいので、そのイメージを壊さないように、すごく気を遣っていました。

桐生も昔は花街があって、芸者さんが何百人もいたそうです。祇園や先斗町に匹敵する趣のある街だったけれど、そういう文化を伝えていく人が今はいません。実は、私の曾祖母がお茶屋を営んでいて、芸者さんを何人も抱えていたそうです。子どもの頃は元芸者さんという人が身近にいて、三味線の音が聞こえてきたり、長唄が聞こえてきたり、すごく風情のある街でした。
お店に市外から来てくださるお客様からも、桐生の街が好きだという声をよく聞きます。古き良き時代の面影を残す桐生の街には、周辺の市町村にない独特の趣があるので、それをもっと周知させることができればと思っています。

Q:日本文化を通しての桐生の街の地域おこしですね。

A:桐生には繊維関係の企業が多く、工房があり、作り手さんもいらっしゃるので、そういう方たちと関わりながら、何かオリジナルのものを作るための拠点を作りたいと思っています。昔ながらの趣のある空き家を自分の手でリノベーションして、そういう拠点を作るのが夢です。
その場所で、オリジナルの和食を提供できればと思っています。和食には日本の文化が凝縮されています。すごく繊細で、土瓶蒸しとか、アユの丸焼きとか、どうやって食べるのが正式なのかわからないお料理ってけっこうありますよね。そういう文化も伝えたいし、例えばヴィーガンの方向けにもニーズがあると思います。動物性のかつおだしは使えなくても、昆布だしやシイタケだしなどは使えるし、しょうゆも味噌も植物性です。和食はヴィーガン料理にも向いていると思います。
残りの期間、協力隊として働きながら、いろんな方とつながって、夢に向けての可能性を探っていきたいと思っています。

(取材日:2020/9/26)