移住・定住のコーディネーターとして、黒保根地区を盛り上げていきたい。
Q:桐生市の地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。
A:地元は熊本で、大学卒業後は東京で就職しました。でも、サラリーマンとして働くより自分で事業を起こしてみたいという気持ちが強くなって、そのための準備期間として地域おこし協力隊の制度を利用しようと思い立ったんです。そこで25歳のとき、会社を辞めて、原付バイクで日本一周の旅をしました。全国の地域おこし協力隊の先輩たちに会いに行く旅です。皆さんがどんなことしているのか、自分だったら何ができるか、約100日間かけて巡りました。
先輩たちの活動を見て、それぞれが才能や特技、技術を持って地域で活動しているけれど、なかなかそれを生かし切れていない、それを売り出す力が必要だと思いました。でも、振り返ってみると、自分にもその力が欠けていることに気づいたんです。 そこで、いったん営業力やビジネスマナーを身につけるために、もう一度就職しました。いずれ起業することを考えながら、東京のど真ん中で営業マンとして4年間働き、ちょうど30歳という区切りで地域に飛び込むことを決意しました。
僕がやりたかったことは、移住・定住希望者や週末だけ地方で副業したいという人たちのコーディネートです。
桐生を選んだわけは、群馬では、まだあまりそういう活動が目立っていなくて、起業するには先駆者がいない方がいいと思ったことが一つ、それから東京から電車1本で来られるアクセスのよさも理由です。下見に来たところ、僕のやりたい活動をさせていただけるということだったので決めました。
Q:実際の活動内容について教えてください。
A:まず初めに、移住希望者を募るにしても気軽に使える場所がないことに気づいて、「ないなら作っちゃおう!」と。空き家をリノベーションしてお試し移住とかもできるように。
地域の人の紹介でここを見つけていただき、民泊施設にすることに決めて、僕自身も移り住むことにしました。
リノベーションの際に業者は使わないと決めていたので、壁は地域の方や市の職員さんに塗り替えを手伝ってもらい、キッチンの床も地域の方が張り替えを手伝ってくれました。
なかなか一人ではここまでできません。協力隊員の活動ということで、みなさんとても協力してくださり、ありがたかったですね。
施設名は「民泊 KUROHOkakes.(クロホカケス)」と名付けました。僕は鳥が好きなんですが、アカオカケスという尾が赤い鳥がいて、すごく社交的でおしゃべりで、海外でも人気者なんです。ここも、そういう社交場になればという願いを込めて、アカオカケスと黒保根のクロホをかけました。
施設ができて、どのようにお客様を集めるかと考えたとき、黒保根地区の武器は農業だなと。だったら農業体験のできる宿としてやっていこうと。そのためには僕自身も農業ができなければ話になりません。そこで、農家に弟子入りして農業を教わることにしました。
Q:農業にも挑戦したのですね。
A:未経験だったので一から教わりました。農家の知り合いも増えてきた中で、新型コロナウィルス感染症が流行り出して、農家の人たちから「野菜の売り場がなくなっちゃった!」という声をよく聞くようになりました。一番の出荷先の道の駅がクローズになって、せっかく作った野菜が余って捨ててしまったり、イベントで売っていた人たちもイベントが全部中止になったり……。
そこで、何か僕にできることがないかと思って始めたのが、ドライブスルー八百屋でした。これなら安全に売れて、お客さんも安全に買えるんじゃないかと。12、3軒の農家さんから野菜を集めて桐生の市街地で売ったところ、珍しい取り組みということで新聞やテレビにも取り上げられました。
緊急事態宣言が解除されてもお客さんが定着してきて、「黒保根の野菜って本当においしいね」とか「黒保根に行ってみたい」という声があり、黒保根のPRになっていることをすごく感じて、これは野菜を売る以上の価値があるなと思いました。
そこで、緊急事態宣言解除後も週1回、土曜日に絞って対面形式でマルシェを続けています。
黒保根町内を駆け回って野菜を仕入れるのは正直大変ですが、「美味しい野菜を市街地の方に知ってもらえて嬉しい」という農家さんの声がモチベーションになっています。
Q:協力隊の農園も始められたようですが。
A:農作業もだんだん慣れてきた中で、協力隊員が作った野菜というのも、いいアピールになるのじゃないかと畑を借りました。黒保根地区で活動しているほかの2人の隊員にも声をかけたところ賛同してくれて、地域おこし協力隊の農園「くろほね農園 そらしーど」としてスタートしました。
隊員の一人はキャンプ場の担当なので、収穫した野菜をバーベキューに使ったり、もう一人はお年寄りの見守り活動をしているので、手土産で「私が無農薬で作りました」と持って行ったり。予想以上の反響で、僕らが畑にいるだけで、皆さん通りがかりに話しかけてくれて地域でのコミュニケーションも生まれています。
野菜作りを教わっている方の田んぼで稲作にも挑戦したんですよ。ちょうど、新米ができたところですが、最高においしくて感動しています。
Q:民泊事業の方はいかがですか。
A:4月のオープンと同時に緊急事態宣言で自粛になって、やっと8月くらいから予約が入り始めたところです。お試し移住だったり、地元の人がテレワークで使ったり、東京からワーケーションで利用する人もいます。
都会から来た人は、まず庭で気軽に焚火ができることに驚きますね。夜は星もきれいだし、焚火をしながらビールを飲んでいたお客さんに「静かすぎてビビリます」って言われたんですが、それを聞いたとき、改めて自分がここの環境に慣れてきたことに気づきました。
Q:残りの期間や任期終了後は、どのように活動していく予定ですか。
A:農業や野菜の販売はずっと続けながら、移住者誘致・関係人口創出の一つの手段として、大学生のインターンシップの受け入れをコーディネートしようかなと考えています。いわゆる職場体験ではなく、春休みや夏休みなどに、都会の大学生が地域の企業で何かミッションを達成して帰るという実践型インターンシップです。例えば、農業法人のホームページを作るとか、地域の商業施設を利用した観光ツアーを考えるとか、販促グッズをつくるとか、外からの若者の目線でミッションを達成してもらいます。
大学生が地域の関係人口になることや、移住や就職などにつなげるコンセプトで事業を展開しているNPO法人があるので、そこと提携して僕がコーディネーターとして黒保根地区でできればと考えています。
そういった活動の母体になるための法人を早ければ今年度中、遅くとも来年度に作ろうと思っています。
その法人は今後入ってくる後輩協力隊員の所属先としても活用していきたいと考えています。協力隊の期間は3年しかないので、早め早めに手を打っていくつもりです。
何より僕がここで楽しそうに暮らすことが、いちばん移住者を引き寄せると思うので、僕も一人の移住者モデルでありたいなと思っています。
(取材日:2020/9/26)