隊員&OB・OGインタビュー

伝統工芸の桐下駄づくりを習得し、下駄職人として一人前になりたい。

沼田市 高橋枝里さん 活動3年目(2018年9月~)

Q:沼田市の地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。

A:地元は埼玉県の蕨市です。東京の企業でシステムエンジニアとして働きながら、趣味として自宅でバッグ、洋服を作っていました。そのうち、趣味の方が楽しくなって、自分でデザインした作品を販売したりするうちに、いっそ“ものづくり”で生きていきたいと思うようになり、仕事を辞めて一生できる“ものづくり”を目指すことにしました。
そんなとき、たまたまインターネットで沼田市の地域おこし協力隊が、伝統工芸の後継者を募集しているのを見つけました。協力隊のことは、以前イベントに出かけたことがありましたので、知っていました。「これはちょうどいい!」と思って応募したのがきっかけです。
沼田がどんな場所かも知らなかったけれど、「ものづくりができる」「伝統工芸が学べる」ということだけで選びました。

Q:丸山下駄製作所で学ぼうと思ったのは?

A:沼田市で、地域起こし協力隊の研修受け入れにご協力いただける伝統工芸士さんを募ったところ4軒あって、初めにその4軒を順番に回って、一通り見学や体験をさせていただきました。 その中で、桐下駄を製作されている丸山勝美さんに出会って、「ここにしよう!」と決めました。丸山さんは優秀技能章受章者で、群馬県ふるさと伝統工芸士に認定されている方です。

伐採した桐の木から桐下駄を作るには、玉切り、木取り、乾燥から仕上げて鼻緒や前金をつけるまで、いくつもの工程がありますが、そのすべての工程を一人でできるのは北関東では丸山さんだけだそうです。昔は1足の下駄をこしらえるのに7人の職人がいて、順々に工程を渡していったということで、利根沼田に60人くらい職人さんがいたそうですよ。
この道約70年の工芸士さんに、貴重な技術を教えていただけるということは、すごいことだなと思っています。

Q:どんなふうに指導していただいたのですか。

A:最初は、最終工程の鼻緒を付けるところから教えていただきました。
昔のお弟子さんは親方の仕事をそばで見ていて、何年もかかって覚えたらしいのですが、私は約1年付きっきりで丁寧に指導していただき、一通りの基本的なことができるまでになりました。
その間、丸山さんは思うように本業ができなくて大変だったかなと、申し訳なく思っています。

初めは親方だから恐い人かなと思ったけれど、やさしい先生で、孫のようにかわいがってもらって、みんなに「いいね」と羨ましがられています。失敗しても「だれでも失敗はする。この次、気を付ければいいよ」と言ってくださるんです。 今は、朝に作業場へ通ってきたら、別々に作業をしているので、以前より効率がよくなりました。

Q:大変だったことや、うれしかったことは?

A:裏にゴムがついてフローリングも傷まない室内履きの「平下駄」を発案したら、テレビの情報番組や新聞の全国紙で取り上げていただき、ものすごく注文が入ったんです。朝から晩まで毎日せっせと作っても、2か月待ちになってしまって、その時は本当に大変でした。食べる間も惜しんで作っていたので、ちょっとやせたんですよ(笑)。

大変だと思ったのはそのときくらいで、会社員のときよりずっとやりがいがあります。元々ものづくりが大好きだし、自分の頭で思い描いたものを作れるのがいいですね。

手作業で作るから一つ一つ違っていて、仕上げに貼る和紙の柄や鼻緒を選んでもらったり、甲の高さなどをお客様に合わせて作ったりすることもできます。誰かの手にわたって喜んでもらえるのは、何よりうれしいです。

私がものづくりが好きなのは、縫い物が好きな母の影響もあるんですよ。実は、おみやげ品のミニ下駄も製作しているのですが、こんなに小さな鼻緒を作れる人がいなくて困っていたら、母が縫ってくれることになりました。下駄職人を目指す夢を、母も応援してくれています。

Q:沼田市で暮らしてみていかがですか。

A:ずっと実家で暮らしていたので、人生初の一人暮らしで初めは少し勇気が必要でした。
誰も知り合いのいないところに来ましたが、ここにはご近所さんやお客様など、毎日いろんな方がいらっしゃるので、ずいぶん顔なじみが増えました。
お昼と夕飯は、丸山さんと一緒に食べるんですが、ご近所のおばさんがごちそうを持ってきてくださることもあるんですよ。

それから、協力隊の仲間もできました。隊員同士の交流も盛んで、イベントをやると言ったら、結構遠くからでも来てくれます。今年はコロナ禍でおまつりは中止になりましたが、昨年の沼田まつりでは、鼻緒を付ける体験に協力隊の仲間が大勢来てくれました。大盛況で、すごくたくさん売れました。

Q:残りの期間や任期終了後は、どのように活動していく予定ですか。

A:丸山さんに了承していただければ、ここを継ぎたいし、このまま下駄職人としてやっていきたいと思っています。

桐下駄は約40種類もあって、難しいものはまだ作れません。そういう特殊な下駄づくりも習得したいし、まだまだ教わりたい技術はたくさんあります。全工程・全種類作れるすごい人の弟子になれて、本当に良かったと思っています。
下駄以外にも端材でコースターとか、スマホスタンドとかを作って喜ばれているので、もっともっと腕を上げて、自分の名前で商品を出せるようになったらいいなと思っています。

(取材日:2020/10/20)