肩の力を抜いて探す、地域おこしと自分の道
Q:東吾妻町の地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。
A:私は緑のふるさと協力隊で東吾妻町に派遣された後、そのまま地域おこし協力隊になりました。私の場合は、緑のふるさと協力隊としての活動は地域おこし協力隊との兼務ではありませんでした。
大阪府枚方市の出身ですが、農村暮らしに憧れて緑のふるさと協力隊になりました。活動地域は九州地方を希望していたのですが、東吾妻町で活動することになりました。
緑のふるさと協力隊では、基本的には農家さんのお手伝いや保育園や幼稚園でのサポートをしていました。緑のふるさと協力隊をしていた先輩がそのまま地域おこし協力隊として残っていたので色々教えてもらいました。東吾妻町ではお手伝いにいく農家さんがたくさんあって、依頼に応えられないくらいでした。重労働の肉体作業はほとんどなくて、袋詰めなどの作業を担当しました。
緑のふるさと協力隊の任期が終了する頃に、東吾妻町の役場の方からこのまま残って地域おこし協力隊にならないかと声を掛けてもらいました。私も緑のふるさと協力隊の1年間で東吾妻町に愛着が湧きはじめた頃だったので、地域おこし協力隊として残ることにしました。
Q:実際の活動内容について教えてください。
A:緑のふるさと協力隊では活動内容が決まっていたのですが、地域おこし協力隊としての活動内容はでほとんど決まっていませんでした。活動当初は何を自分の活動としていくかを探っている感じでした。
東吾妻町には真田氏ゆかりの岩櫃城址があり、昨年は大河ドラマ「真田丸」で取り上げられたこともあって大いに盛り上がっていました。
次の観光の目玉を何にしようか考えた時に、東吾妻町の郷原という地区から出土したハート型土偶がよいのではないかと思いました。ハート型土偶は各地で出土していますが、東吾妻町のものはハートの形がすごく綺麗で、保存状態も非常によいものでした。
まずはハート型土偶のTシャツを作り、毎年秋に開催している忍者をテーマにした「岩櫃城忍びの乱」というイベントで販売しました。
また、「東吾妻むかし道MTVライド」というマウンテンバイクのイベントで土偶クッキーや土偶パフェを提供しました。イオン高崎で開催されたぐんまフェアにもハート型土偶をモチーフにしたワークショップを出展しました。
私は地域おこし協力隊になった時に明確な目的を持たずに、漠然とした思いだけで活動してきました。地域おこし協力隊では強い思いを持ちすぎてしまうと、逆に歯がゆく感じてしまう場面が多々あります。私のように深く考えず肩の力を抜いて活動してみるのも良いと思います。
Q:東吾妻町に暮らしてみた感想を教えてください。
A:緑のふるさと協力隊の頃は、山の上にある東吾妻町が所有している一軒家に住んでいました。歴代のみどりのふるさと協力隊員が住んでいたところです。昔から住んでいる方が多い地区で、近くに商店などはなく、移動販売がまれに来る程度でした。元々病院の先生が住んでいたようですが、長らく空き家になっていたところを緑のふるさと協力隊用の住居として整備してありました。
緑のふるさと協力隊では、公私で町内のみで利用できる車を貸してもらっていました。東吾妻町には大型スーパーなど買い物できる場所が揃っているので、生活には苦労しませんでした。
お手伝いに行った農家さんから野菜などをいただくことが多く、1年間はほとんど野菜を買いませんでした。
緑のふるさと協力隊から地域おこし協力隊になる時に、役場近くのアパートに引っ越ししました。アパートは自分で色々探したのですが、結局役場の職員の方から紹介されたところに決めました。
アパートに住むようになると、地域との交流などは少なくなりました。アパートの住人は日中外に働きに出ていることが多く、頻繁に人の入れ替わりがあります。その点は、緑のふるさと協力隊の頃の方が色々と地域の方が気に掛けてくれていたので良かったなと思います。
副業などは特にやっていませんが、こちらでは報償費で十分生活できます。
Q:他の協力隊員との関係はどうですか。
A:高山村の地域おこし協力隊員の方とは緑のふるさと協力隊の時の同期です。
東吾妻町の隊員は現在私一人だけで、隊員の多い市町村は羨ましいなと思ったこともありました。吾妻地域では、定期的に他の市町村との交流会を開催しており、その中で他の隊員と会って情報交換しています。たくさん隊員がいると人間関係などの悩みが出やすいとのことなので、今は一人のほうがやりやすいのかなと感じています。
Q:任期終了後について教えてください。
A:今はまだ迷っているところです。残りたい気持ちはあるのですが、残って何をやっていくかはまだ決まっていない状態です。元々何かをデザインしたり、作ったりすることが好きなので、それを上手く活かしていければと思っています。