IT業界から一転、築145年の古民家で養蚕文化を繋ぐ
Q:富岡市の地域おこし協力隊に応募したきっかけを教えてください。
A:富岡市に来る前は岐阜県白川村で地域おこし協力隊として活動していました。
出身は高崎市で、大学を卒業後に都内のWEB系の会社に就職しました。
大阪に転勤になったことをきっかけに、一人旅をするようになり、その時の出会いから地域での活動に関心を持ちました。
当時はサラリーマンとして働いていましたが、日本各地で出会った「地域をフィールドに輝きながら活動している人」に自分もなりたいと思い、地域おこし協力隊を希望しました。白川村を選んだのは、人口1700人という過疎の村でありながら、世界遺産「白川郷」を抱えた観光地だったからです。協力隊として、地方創生と観光立国という大きなテーマにチャレンジできる場所だと感じたからです。
白川村では前職で培ったWEBの知識を活かした情報発信や移住・定住施策に取り組みました。
ただ、白川村で移住・定住に取り組めば取り組むほど自分の中での悩みも大きくなりました。それは、自分の故郷に対する想いと家族のこと。私の父は繭の仲買商を生業にしています。富岡市製糸場は世界遺産に認定されましたが、養蚕業はどんどん衰退するばかり。このままでは、自分のルーツに繋がる養蚕業が無くなってしまうかもしれない。そんな危機感さえ感じました。白川村の人が自分の故郷を愛するように、私も自分のルーツに繋がる養蚕業のために活動してみたい。そんな想いから、富岡市の地域おこし協力隊として養蚕にチャレンジすることを決めました。
Q:実際の活動内容について教えてください。
A:築145年の古民家を改修し養蚕体験農家住宅「大丸屋」に住みながら、養蚕をやっています。
富岡市の場合は市との任用関係はないので、どこかの職場へ出勤するということはなく、基本的には自宅で活動しています。
協力隊の1年目は、群馬県の養蚕研究施設や富岡市内の養蚕農家さんに毎日通って養蚕技術を教えてもらいました。
2年目からは、富岡市の空き家活用事業として改修した大丸屋に引っ越し、実際に自分でお蚕さんの飼育をしながら養蚕振興に取り組んでいます。養蚕シーズンの5月から10月にかけて4万頭弱の蚕を飼育し、約70kgの繭を生産しました。一般の方の見学も受け付けているのですが、約半年で400人以上の方が訪れてくれています。養蚕振興の第一歩として、まず実際に見てもらうことや体験してもらうことが大切だと感じています。
3年目の目標としては、養蚕の規模を拡大しつつ、よりたくさんの方にお蚕さんを知ってもらうための広報や仕組みづくり、体験企画をやっていきたいと思います。
養蚕関係以外の活動として、市が開催する移住や地域づくりに関するイベントや広報の手伝いをすることもあります。
Q:富岡市での生活について教えてください。
A:今は白川村で地域おこし協力隊をしていた時に知り合った妻と二人で大丸屋に暮らしています。妻は介護関連の職場で働いています。
地域おこし協力隊の報償費以外にも、繭の売却代金は自分の収入になります。繭の生産に必要な道具は、自分で報償費の中から買い揃えたものもかなりあるので、繭の売却代金と収支はトントンです。
昔から写真が好きだったので、写真撮影をして収入を得ることもあります。また、WEB系の会社に勤めていたので、動画を制作することもできます。甘楽町の隊員が群馬ビジネスアワードで使った写真や動画は私が準備したものです。
私の場合は任用関係がないので、市役所の車には原則として乗れません。公私ともに自家用車を使っていて、富岡市から一定額の借上料が支給されます。パソコンや通信費なども同様です。
長年空き家だった一軒家を改装して住んでいるので、地域の人も関心があるらしく、散歩の途中にふらりと遊びに来てくれることもあります。
Q:他の協力隊員との関係はどうですか。
A:歩いてすぐ近くに古民家で染色や織物をしている隊員が住んでいます。大丸屋の暖簾も彼女が制作してくれたものです。
富岡市の隣の甘楽町にも養蚕に取り組んでいる隊員がいるので、頻繁に養蚕に関する情報を交換しています。繁忙期が一緒なので、休みの時に一緒に旅行に行くこともあります。
全国的にも養蚕に取り組んでいる協力隊は何人かいるので、FacebookやinstagramなどのSNSを通して交流もしています。
Q:今後の目標を教えてください。
A:養蚕業を拡大しながら生計を安定させていくことも大切ですが、実際に自分で養蚕に取り組んでみてその厳しさも実感しています。「養蚕文化を後世に繋ぐ」ために、まずは養蚕の現場を多くの人に見ていただくことが必要だと感じています。今後は繭の生産による収入だけでなく、観光や体験と組み合わせて稼いでいく方法にもチャレンジしていきます。